『夫婦』とは?たとえどんな時でも「パートナーを守りたい」と想えますか?
【私の想う“理想の夫婦”とは?】
夫婦の定義について考えてみると。。。
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先日「サワコの朝」で
渡辺満里奈さんが、夫である名倉潤さんがうつ病を発症した時について
「夫のことを一番観察し解っているのは、心療内科の先生でもない私だ。私しか治せないと思った。」と語っていた。
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この想いを、夫婦としてパートナーに持てるか?
お互いに元気で、好きなことをできてる時は良しだけど
パートナーが窮地に立たされた時、
それが病気だったり、事故だったり、借金だったり
想定外のことが起きた時、1ミリも迷わずに
「パートナーを守りたい。支えたい。必ず助けたい。」と思えるだろうか?
私の場合、“いざという時、困難な壁にぶち当たった時、共に乗り越えていけるか?”
ということが、夫婦のベースにあるようです。
そして、ついつい自分の両親を、思い浮かべてしまうですよね。
☆私の両親について少々長くなりますが、お付き合いください☆彡
うちは自営で、ネジや部品を作る金属加工の工場を営んでいました。
父は職人気質で、頑固に口下手、人付き合いも下手で、威張れるのは家族にだけの偏屈な親父。
優しいところもあったし、忙しい中でも夏休みには海水浴やプールに必ず連れって行ってくれた。
でも、おっかない存在。
兄曰く「俺のやる事は反対ばっかり。お前(私)には甘かった。」と。
私自身小さい頃は、お父さんっ子でしたね。
母は家庭内では、子供(私と兄)と父親との間に入り潤滑油となり、
家業では一緒に工場を手伝い、父と取引先との潤滑油となり、偏屈な父を支えた。
明るく、気遣いのできる、愚痴や人の悪口も聞いたことがない、太陽のような母でした。母がいたから、我が家は成り立っていた。
そんな大好きな母が、63歳の時に脳出血で倒れ、2週間目覚めることなく、
一命を取り留め、目が覚めた時には、人が変わっていました。そして左半身麻痺。
優しくて前向きで、お人好しでおっとりめ、いつも笑顔の母はそこには存在せず、
大声をだしたり、履いてる紙おむつをビリビリに破いたり、
ベットの柵をガタガタ取ろうとしたり、気が狂ってしまったかのような母でした。
落ち着かせる薬を飲まされ、手にはミトン、ベットにベルトで固定させた姿がつらすぎて、会いに行くのが本当に悲しくつらかった。
入院した病院から、リハビリ病院へ転院しても、精神的不安定は続き、
安定剤や睡眠導入剤、けいれん止め、その他山ほどの薬を飲み、
会いにいっても昼間は半寝状態だったり、夜は寝ずに興奮してたり、リハビリは全く進まず、
そして3カ月が経ち、病院からは退院を言われ、この状態で家に戻ったら…
呆然とこれから先どうなるんだろう。父と共に介護地獄に陥るのか…
不安で真っ暗な状態、明るい未来なんて全く見えなかった。
それでも退院の準備は粛々と進み、退院に向けて減薬していったところ、
日に日に母の表情、車いすの座っている姿勢も、目力も言動も、なんか良くなってきてない!!
普通に会話ができるようになってきてない!!
薬を止めたおかげで、母が自分自身を取り戻していきました。
【薬は、良薬にもなれば、毒となりうることもある。という事を学習しました。】
リハビリ病院も、この状態ならリハビリができると、半年入院を継続してくれ
リハビリを受けることができたんです。
家もバリアフリー、トイレも車いすが入れるように改装し、スロープ、手すりと
受け入れ準備が進み、1年ぶりに母が家に戻ってきました。
私は東京での仕事を辞め、父と一緒に母の介護をする決断をし、千葉へやってきました。
父はこの1年、誰もいない家にたった一人、慣れない家事をし、食事を作り食べ、話す相手もいなくて、どんなにか寂しかっただろう。(私はまだ東京にいたので)
父は、母が戻ってきた嬉しさで「俺が絶対治してやる!」と意気込んでいました。
母が元気な時は、さんざん苦労をかけてきた父でしたが、
母が倒れてからの父は、今までの恩返しするかのように、母の面倒を本当によく見ていました。
「俺が絶対治してやる!」の想いが強く、私とやり方が違うと衝突することも多かったので、
私は、いざという時のHELPにまわり、見守ることにしました。
父は約12年(特養に3年間入所)母の介護を続けたわけで、この12年は並大抵のことではありません。
夜中起こされ、トイレには何度も行くし、
もちろん昼間も5分おきに、トイレに「行きたい」と言う。(行っても出ないのに…)
そしてある時は、間に合わなくて漏らしたり。
父の姿が見えなくなると「お父さ~ん」と何度も呼ぶし、「何もできない」とぼやいてた。
食欲がなければ、青汁や自家製ヨーグルトを作って食べさせたり、
料理も圧力釜でご飯を炊き、父なりのこだわり料理を一生懸命に作って食べさせてた。
足がむくんでいればマッサージして、
出かけるときは、いつも助手席に母を乗せ、車いすを積んで、一緒に出掛けてた。
母にどんなに手がかかっても、どんなにわがまま言われても、
母がどんな状態でも、一緒に居れることが、父にとって幸せだったんだと思う。
一人の寂しさを知っていたから。。。
だから私やケアマネジャーが、父の体を心配して施設への入所を進めても、
「どうしても無理になった時まで、限界まで俺が面倒みる。」
そう言って、本当に限界まで介護を続けたんです。
気短だった父が、こんなに気長な人だった?
すぐ怒って父が、こんなに優しかった?
母は見事に自分の人生をかけて、父を “ 偏屈な夫 ” から “ 理想の夫 ” に変革させ、
母が父に尽くしてきた心は、ちゃんと父の中に生きていて、そしてまた母へと返されていった。
そんな両親をみてきて、私の想う“夫婦の定義”とは
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パートナーが本当に苦しい時、本当に支えを必要としている時、
一番の助っ人であり、一番の理解者であり、一番の味方であること。
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両親の夫婦の姿から、学んだことであります。
夫婦は長い年数をかけて、お互いに助けたり、応援したり、足りない部分を補ったり
成長を繰り返し、本物の夫婦になっていくのかもしれない。
<PAA認定パートナーシップコーチ 大野克子>